日本移民が多いブラジルでは、数々の日本食に欠かせない調味料が誕生しました。
その中でも、注目するのは醤油。
ブラジルでは、いつから醤油が出来たかご存知ですか?
今回は、ブラジルの日本移民の歴史の中で作られた醤油について紹介します。
日本人にとって欠かせない、醤油と味噌。
今回は、醤油に焦点を当て、ブラジルの醤油について紹介したいと思います。
あの移民者たちまで持ってきたとは驚きです。
笠戸丸移民、数少ない荷物でも持ってきた醤油
日本人にとって、醤油などの日本調味料は欠かせません。
ブラジルでは、いつごろから醤油が入ってきたかご存知でしょうか?
実は、ブラジルに到着した最初の日本移民である、笠戸丸移民が荷物に入れて持ってきました。
半田知雄さん「移民の生活の歴史」で、第一回目の笠戸丸移民が持参した物を記述されており、以下に引用します。
「(中略)荷物のなかには、歯みがき粉、缶詰、食物調理用の醤油、薬品、衣服、木の枕、その他の日用品、防寒用のふとん、大工道具、1、2冊の書物、便箋の入った箱、墨、ご飯を食べるときに使う小さい棒、ひらたくて幅の広い小さな匙(しゃもじ)、その他彼らが必要とするこまごまとしたものがはいっている。」
移民の生活の歴史 p.26
日本移民者の荷物は小さかったようですが、その中でも醤油を持ってきたことを考えると、調味料として必要不可欠だったということが分かります。
現在、リベルダージでは、日本からの輸入された調味料など、簡単に買うことができます。しかし、移民当時は輸入ものはなく、現地の材料をいかにして日本風に料理するかという工夫をして来ました。
日本移民の歴史とともに歩んだブラジルの醤油
日本移民の食生活にとって欠かせない醤油。
多くの移住者は、現地で手に入らないので自家製のものを作ってきました。
ここでは、代用醤油について紹介したいと思います。
たまはり醤油
初期では、仕立てた味噌とその「たまり」を利用した「たまはり醤油」が誕生。
たまり醤油は味噌桶の隅に溜まった「たまり」を汲み取り、これにザラメ砂糖(あるいはマスカーボという黒砂糖)を焦がして作ったカラメルを混ぜて醤油色になったもののことである。
「ブラジル日本移民百年史 第3章 生活と文化編(1)」p.494
フェイジョン醤油
大豆が常に入手出来る状況ではなかったので、フェイジョン豆を大豆の代用として、フェイジョン醤油を醸造しました。別名、沖縄醤油とも呼ばれていました。
スーパーで販売しているブラジルの醤油
最初の醤油が販売されたのは、1913、14年ごろに、サントス市と言われています。30年代初頭には、ノロエステ線沿線の日本人集団地やサンパウロ市内で醤油醸造業が成立しました。
現在、ブラジルの大手醤油メーカーの一つである、Sakuraの創立者が、1940年にサンパウロ市内で醤油を作り、1950年に設立、1976年に吸収合併し、現在のサクラ中矢として誕生。コロニア向けの日本食調味料でしたが、現在はブラジルの醤油として定着しました。
スーパーでは、日系スーパーに限らず、多くのスーパーで醤油を買うことができます。



ブラジルの醤油と日本の醤油の違い
日本の醤油
- 原材料 大豆、小麦、塩
麹菌を加えることで、たんぱく質をアミノ酸に分解して作る。
ブラジルの醤油
- 原材料 大豆、トウモロコシ、メラッソグルタミン酸ソーダ等が含まれていることで窒素含有量が少なく、塩分が多く、甘く、濃く、塩辛い
- MOLHOと商品に書いているのも、
醤油のカテゴリーではなく、ソースになるようなもの - 醤油独特の香りが弱い
日本移民とともに定着したブラジルの醤油。
両方の醤油を味比べしてみてはいかがでしょうか?
Jetroの報告によると、ブラジル醤油のほうが塩分量が圧倒的に高いと書かれているので、塩分過多にはお気をつけください。
まとめ
日本人には欠かせない醤油。
ブラジルには、第一回目の笠戸丸移民が数少ない荷物の中に入れて持ってきました。
日本の醤油は、大豆、小麦、水を使用して作りますが、
小麦はブラジルでは手に入らず、トウモロコシを入れて作りました。
そのため、日本とブラジルの醤油は、香りなど異なります。
とはいえ、日本移民、第一回目の笠戸丸移民から醤油を持ってきたのは、驚きとともに、ブラジルの醤油は日本移民とともに歩んだと言っても過言ではありません。
ただ、ちょっと気をつけていただきたいのが塩分量。
Jetroの報告によれば、塩分量では圧倒的に高いので、塩分過多にはお気をつけください。
いかがでしたでしょうか?
今回は、ブラジルの醤油について紹介しました。