ブラジル生活

【歴史】今日は何の日!?ブラジルと日本をつなぐ重要な日なんです

ブラジル生活

ブラジルでは、サッカーやカーニバルなどラテン系のイメージがあります。

でも、われわれにもっと親近感のある国だったことをご存知ですか?

実は、ブラジルは世界最大の日系人が多く住む国です。

ブラジルには、

日本の文化や日本食が多く存在し、
異国の地とは思えないほど、「日本」を感じることが出来ます。

今回は、ブラジルの日本移民について紹介します。

今日は何の日!?日本移民のはじまり

1868年、ハワイやグアムで働くために渡った人々が最初の日本移民の始まりと言われています。

ブラジルに渡った初めての日本移民は、
1908年4月28日に神戸港を出発し、

6月18日にサントス港に着きました。

まさに、112年前の今日、神戸港を出発したと思えば、
なんだか当時の人たちになった気分になりませんか。

初めての移民船は笠戸丸で、最初の移民数は781名とされています。

ブラジルの日本移民の心情を知りたければ、これ読んで!

蒼氓(そうぼう) (秋田魁新報社)

神戸の国立海外移民収容所の生活から、ブラジルでの苛酷な生活まで書いてあります。

日本移民はブラジル移民ではなく、もともとサンパウロ移民だった!?

ブラジルでは法令としてアジア生まれの入国を禁止していましたが、
当時は州政府の方が主権を握っていたので、

移民に関する入国については、各州政府が判断していました。

労働者の代わりを探していたサンパウロ州政府と移民先を探していた日本の目的が一致し、

日本移民はサンパウロ移民として、ブラジルに移民しました。

日本移民は、コーヒー農園で働いていましたが、なかなか定着は厳しかったようです。
日本移民は、契約労働として働き、その後独立することになりました。

各地に入植した日本移民たち

ここでは、リオ州とパラ州について述べたいと思います。

リオ州

日本移民が来る以前、日本公使館が最初に建てられた場所は、リオのペトロポリスです。

笠戸丸が到着すると、サンパウロに注目したが、その当時の首都はリオであり、

1910年6月28日にサントスに到着した「旅順丸」の中に、初めてのリオの移民者が到着しました。

リオの日本移民は統計的に見ても少ないですが、サンパウロ州に入植した移民達がリオに移動しました。

パラ州

1929年9月16日、アマゾン地方の最初の日本移民がベレン港に到着しました。

パラ州政府が、サンパウロの日本移民の功績を見て、
パラ州にも日本移民を召還させたいと計画を立て始めたことが始まりとされています。

毎年、9月16日前後では「日本週間」と称し、日本の文化を広めるお祭りがベレンで行われています。

戦後の日本移民について

戦時中、日本移民の渡航は禁止されていましたが、再開したのは戦後まもなくのことです。

日本は敗戦により、多くの海外からの引揚者を受け入れ、過密人口と食糧難になっていました。
この余剰人口を海外移住以外に選択肢はなく、移住が再開しました。

ブラジルでジャガイモ栽培を広めた「コチア青年」、「工業移住者」など、あらゆる職種の移住者達が、ブラジルに渡りました。

2017年時点で、日系人は約380万人存在すると言われています。

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ブラジルの日本移住地の分布図

ブラジルで使われているコロニア語に関しては、過去記事をご覧ください。

(ちょっと小話)

『Correio Paulistano』新聞は、日本移民の上陸を詳細に報じ、サンパウロ移民収容所での日本人の行動を賞賛しました。

ブラジルで生活しているからこそ、「日本」を背負い、日本人の名に恥じぬように行動を心掛けたいです。

まとめ

ブラジルでは、サッカーやカーニバルなどラテン系のイメージがありますが、
ブラジルは、世界最大の日系人が多く住む国だということをご存知ですか?

サンパウロへの移民船が神戸を出たのは、1908年4月28日(まさに今日)。
112年前から現在にわたるまでの、ブラジルの日本移民の歴史を振り返りませんか?

サンパウロ州で、なぜ日系人が多いかというと、

ブラジルで最初に移民として認められた州がサンパウロ州だったからです。

今回は、ブラジルの日本移民について紹介しました。

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