日本でお正月は三が日、中国では春節祭、ブラジルではクリスマスが、新年の幕開けです。
同じブラジルでも、パラ州の”お正月”は、10月!!
今回は、同じブラジルでも「クリスマス」よりも重要!?パラ州の”お正月”について紹介します。
パラ州のお正月は、10月!?何処にいても帰省する日
お正月って、三が日の印象が強いですが、パラ州のお正月は10月なんです!
カトリック三大祭りの一つ、ナザレ大祭。
シリオ デ ナザレ(以下 ナザレ大祭)が行われる第2日曜日は、ナザレ大祭のピーク。この日は、パラ州民にとっては、「お正月」と捉えており、ブラジルの「クリスマス」よりも、重要と捉えているので、何処にいてもパラ州に帰り、家族と過ごす日です。
パラ州民にとっては、ナザレ大祭は実家に帰るきっかけ、家族が集まるきっかけでもあります。
そもそもナザレ大祭って何!?ナザレ祭の歴史
17世紀に、イエズス会がナザレ信仰をパラ州に伝えました。1700年にプラッシド(ポルトガル人とブラジルの先住民の人との子供)が、小さなナザレ像を発見しました。
その像はポルトガルにあるナザレ像の復元で、木造で28cmありました。

ベレンの言い伝えによれば、不思議なことに、その像は発見された場所に何回も戻っていたようです。
何度も戻るうちに、当時の人は神が決めた場所とて認識し、神聖なものと見なされました。
その時の州知事が、その像を州の政府機関の礼拝堂に移動させましたが、警備隊がいたにもかかわらず、それでもナザレ像は消えました。その後、信仰が公式なものになりました。
その後、はじめて見つかった場所に、ナザレ大聖堂を建て、そこに祀られています。

第一回目のナザレ祭
1773年、パラの司教がナザレ像をベレンの守護聖人に定め、翌年、ナザレ像は修復のために、ポルトガルに送られ、10月にベレンに戻されました。
港から大聖堂まで、州知事、司教および教会の幹部、警備で大聖堂に持って行かれ、それが第一回目のナザレ祭とされています。
無形遺産に認定されているナザレ大祭
225年続く大祭で、ナザレ大祭に毎年200万以上の人が来ます。ちなみに、ベレンの人口は、約150万人ほどです。

この大祭は、ブラジルの色んな文化、郷土料理、アマゾンの伝統および民芸品に影響を与えます。あとは、宗教の有無、観光、社会、文化にも影響します。
このナザレ像は、舟乗りの守護成人でもあります。
色んな信仰および行事、色んな文化的表現として、2013年12月に認定されました。公式サイトによれば、200万人以上が訪れるカトリックで一番大きな大祭です。
ナザレ大祭の川の巡礼に参加してみた
ナザレ大祭では、ナザレ像がベレンや周辺都市を巡礼します。

1969年からは、復元された巡礼ナザレ像が使われています。州の法律により、ナザレ像には国家元首のステイタスがあります。式典等は、国家元首同様に行われます。
ナザレ像は金曜日から日曜日にかけて、より多くの信者に見せるために移動します。
ベレン市内では、川の巡礼として、ナザレ像を船で運びます
今回は、特別にナザレ像を運ぶ船に乗ることが出来ました。

船は、早朝に出発し、10時前後にベレン市内イコアラシ港からナザレ像を迎え入れます。

川の巡礼でも、ナザレ像に乗っている船に少しでも近寄りたいと、多くの船が集まってきます。

ベレン市 Estação das Docasで、川の巡礼は終わります。
その後、ナザレ像は、夜まで街の中を巡礼します。
ナザレ大祭の時期は、人口よりも多くの方が来るので、まちが歩けないほど、混乱状態になります。
街の巡礼のナザレ像は、箱に入っていて、昔は縄で引っ張っていました。
今でも、縄はついていて、ご利益があると信じている信者が縄を切るために、刃物を使用するので、危ないと言われています。
ナザレ祭で食べる“おせち料理”!?あの料理が登場します
ナザレ大祭では、ナザレ大祭ではマニソバとあひる肉のトゥクピー(豚肉や鶏肉でも作ります)を食べていました。
当日食べる”おせち料理”について
知ってた!?パラ州の祭りで食べる料理を調査してみた
マニソバ、Pato no tucupi以外にも、パラ州の郷土料理を食べます。
ブラジルなのに、一年の特別な日”お正月”も異なるパラ州。
ナザレ大祭は、宗教を超え、パラ州の食文化をも経験できるので、とても重要な日とされています。
今回は、カトリック最大祭りの一つ、シリオ・デ・ナザレ(o Círio de Nazaré)について紹介しました。