6月18日は、何の日かご存知ですか?
ブラジルでは日本から最初の移民船(笠戸丸)が、サンパウロ州サントス港に到着したことから「日本移民の日」、
日本では本格的な海外移住の第一陣を乗せた移民船(笠戸丸)がブラジルに到着したことから「海外移住の日」とされている6月18日は、
112年前、ブラジルに初めての日本移民が到着した日です。
今回は、半田知雄さんの「移民の生活の歴史」から学ぶ、ブラジルの日本移民について紹介します。
半田知雄さんとは、ブラジル日本人移民史研究者としても著名で、ブラジル日本移民史における数々の文献を書いています。日系画家の草分けでもあり、移民の生活をテーマにした画家としても知られています。
当時どういう生活だったのか想像することで、歴史と触れ合える時間が好きです。
今回は当時を想像しながら、読んでみませんか?
日本移民がブラジルに到着した日
18日午前9時半、第一回目の日本移民を乗せた笠戸丸がサントスに到着しました。笠戸丸には、契約移民781人と自由渡航移民10人が乗っていました。
ちょうど、6月のサン・ジョアン祭近くで、爆竹が上空に舞い上がり、爆音がなっていました。移民たちは、ブラジル国民が歓迎してくれると思ったそうです。
移民たちは、感嘆して大空をみあげて、ブラジル国民が彼らを歓迎していると思った。
移民の生活の歴史 p.16
移民の上陸が始まったのは、19日午前7時ごろ。
『Correio Paulistano』新聞は、日本移民の詳細を報じ、賞賛しています。
移民者たちは、日本とブラジルの国旗を手に船から降りてきました。男女ともすべて洋服で、このヨーロッパ式衣服は、日本で購入したものでした。
移民たちは自分の金で衣服を購入したのであったから、清潔な新調品で、気持ちのいい印象を与えた。女たちは木綿の白い手袋をはめていた。
移民の生活の歴史 p.18
自分たちが、ブラジルで最初に見られる日本人だったと自覚していたとは思いますが、
当時、洋服は流通していなかったと思うので、彼らたちがいかに「日本」を背負っていたのかと思うと、
当時の移民者たちには頭が上がりません。
サンパウロ移民収容所のごちそう
移民者たちは、二等者の汽車に乗り込み、3時間かけて移民収容所に向かいます。
移民収容所では、日本移民のごちそうということで、
干し鱈(bacalhau)とじゃがいもを煮込んだおじやとパンだったそうです。
普段は肉のスープとパンが普通ですが、輸入品を使ったことにブラジル人の厚意が感じられたようです。
サンパウロ移民収容所の日本移民のようす
一方、移民収容所の日本人のようすも完璧だったようです。
(中略)彼らの去ったあとのサロンは、完全な清潔さがたもたれていてみんなをおどろかせた。たばこの吸い殻一つ、つばを吐いたあと一つない。きたならしくつばをはきちらし、たばこのすいがらを足でふみつぶす他の国の移民たちとは正に対照的である。彼らはいつも、きわめて規律正しく食事をした。
移民の生活の歴史 p.22
日本人としては当たり前の行動が、こうした本を読むことによって、当時の日本人の行動が手に取るように分かり、どこの国にいっても「日本」を背負い、今日のブラジルでの日本移民が評価されていることを考えると、頷けます。もちろん、血の滲むような努力と考えられないような苦労があってこそ、今日の日系社会および日本移民の歴史があるのですが、私もブラジルで生きる日本人として、「日本」を背負って生きていきたいです。
ブラジル移民ではなく、サンパウロ移民として受け入れられた日本移民
ブラジルの法令としては、中国人が定着しなかったことや黄禍論の影響で、
アジア人の入国を禁止していました。
当時、主権は州政府が握っていたので、移民に関する入国については、各州が判断していました。
イタリア移民が撤退し、その代わり日本移民がブラジルに移民してきました。
詳しくは、過去記事をご覧ください。
今回、参考にした文献は、こちら!
プチ情報!後世に残しましょう!
日本移民の歴史が展示している資料館が、liberdadeにあります。
コロナの影響で、存続危機の状態です。一緒に寄付活動をしませんか?
詳しくは、過去記事をご覧ください。
まとめ
6月18日は、ブラジルに日本移民が到着した日です。
ブラジルでは「日本移民の日」、日本では「海外移住の日」とされています。
今回は、ブラジルで著名な画家であり、ブラジル日本移民史者の半田知雄さんの「移民の生活の歴史」から、サントスに到着した日から移民収容所で、日本移民がどのように行動をしていたかについて説明しました。
日本移民がいかに「日本」を背負い行動していたのか、そして、今日までのブラジルに浸透してる日系社会に至るまでの歴史やブラジルで感じる日本への尊敬に感謝しつつ、ブラジルで生きる日本人として「日本」を背負い、先人の名に恥じないように生きていきたいと思いました。